2015年01月19日
野村流音楽協会90周年記念式典
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野村流音楽協会90周年記念式典が昨年12月20日に沖縄市民会館でありました。
90周年と一口で言うのは簡単ですが、創立されたのが大正13年です。長い歴史ですね。その後第二次世界大戦があり、苦難を乗り越えてきたのです。
恐縮ながら、感謝状をいただきました。ありがたいことです。多くの仲間も贈られていました。
共に精進していきたいですね。


野村流音楽協会90周年記念式典が昨年12月20日に沖縄市民会館でありました。
90周年と一口で言うのは簡単ですが、創立されたのが大正13年です。長い歴史ですね。その後第二次世界大戦があり、苦難を乗り越えてきたのです。
恐縮ながら、感謝状をいただきました。ありがたいことです。多くの仲間も贈られていました。
共に精進していきたいですね。
2015年01月19日
池宮喜輝師 献納式
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昨年11月24日、野村流音楽協会90周年記念事業の一つ、先師池宮喜輝師の献納式が沖縄市民会館前の池宮先生の顕彰碑前にて行われ、三線演奏、舞踊が奉納されました。私は太鼓で参加しました。
池宮喜輝先生献納式 野村流音楽協会HP
同時開催で嘉手納では幸地亀千代師、今帰仁では西島宗二郎師の献納式が行われました。
池宮先生が5代会長、幸地先生が6代会長、西島先生が7代会長というならびです。
池宮先生は野村流音楽協会発足時に伊差川世瑞先生達と共に尽力なされ、また、戦後の野村流音楽協会再建の際は5代会長に就任して尽力なされ、その功績は計り知れず、私共は多大な恩恵を受けています。
以下野村流音楽協会発刊、楽典の手引きより
池宮喜輝(1886~1967)
琉球古典音楽家。那覇市若狭生まれ。舞台演奏家として活躍し、とくに「散山節」が得意でありました。
1915年、金武良仁、伊差川世瑞らとともに沖縄音楽最初のレコードを録音。1936年、琉球芸能の東京、大阪公演に金武良仁、伊差川世瑞らとともに参加して音楽を担当。関西支部における古典音楽の普及発展にも功績があります。
1938年に県議に当選。戦後にも野村流音楽協会第五代会長を務め、会誌「琉球音楽」を発刊するなど、多彩な活躍をしました。
著書に「琉球芸能教範」があります。旧姓池宮城。


昨年11月24日、野村流音楽協会90周年記念事業の一つ、先師池宮喜輝師の献納式が沖縄市民会館前の池宮先生の顕彰碑前にて行われ、三線演奏、舞踊が奉納されました。私は太鼓で参加しました。
池宮喜輝先生献納式 野村流音楽協会HP
同時開催で嘉手納では幸地亀千代師、今帰仁では西島宗二郎師の献納式が行われました。
池宮先生が5代会長、幸地先生が6代会長、西島先生が7代会長というならびです。
池宮先生は野村流音楽協会発足時に伊差川世瑞先生達と共に尽力なされ、また、戦後の野村流音楽協会再建の際は5代会長に就任して尽力なされ、その功績は計り知れず、私共は多大な恩恵を受けています。
以下野村流音楽協会発刊、楽典の手引きより
池宮喜輝(1886~1967)
琉球古典音楽家。那覇市若狭生まれ。舞台演奏家として活躍し、とくに「散山節」が得意でありました。
1915年、金武良仁、伊差川世瑞らとともに沖縄音楽最初のレコードを録音。1936年、琉球芸能の東京、大阪公演に金武良仁、伊差川世瑞らとともに参加して音楽を担当。関西支部における古典音楽の普及発展にも功績があります。
1938年に県議に当選。戦後にも野村流音楽協会第五代会長を務め、会誌「琉球音楽」を発刊するなど、多彩な活躍をしました。
著書に「琉球芸能教範」があります。旧姓池宮城。
2015年01月19日
沖縄科学技術大学院大学 訪問公演 2014
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リハーサルの様子です。
昨年11月16日に、野村流伝統音楽協会が沖縄科学技術大学院大学講堂にて公演を行い、太鼓で出演しました。手水の縁からの一部抜粋の受け持ちでした。6月の地謡研修部の公演の時と同じメンバーでした。
大学院大学での古典芸能の公演は初ということです。観客の皆さんは外国人の方が多くいました。初めて観る沖縄の伝統芸能に感嘆した様子でした。国際的に認知されるきっかけになるような意義ある公演だったと思います。

リハーサルの様子です。
昨年11月16日に、野村流伝統音楽協会が沖縄科学技術大学院大学講堂にて公演を行い、太鼓で出演しました。手水の縁からの一部抜粋の受け持ちでした。6月の地謡研修部の公演の時と同じメンバーでした。
大学院大学での古典芸能の公演は初ということです。観客の皆さんは外国人の方が多くいました。初めて観る沖縄の伝統芸能に感嘆した様子でした。国際的に認知されるきっかけになるような意義ある公演だったと思います。
2015年01月19日
徳八流太鼓保存会50周年記念公演 2014
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昨年10月19日に徳八流太鼓保存会50周年記念公演「尊師徳八ぬ鼓(ちぢん)の響き永遠に」が国立劇場おきなわ大劇場で開催されました。
ご来場いただいた皆さん、誠にありがとうございました。
本来なら2013年の開催予定でしたが、事情により1年延期の開催になりました。
およそ2か月前から本格的なリハーサルが始まり、成功させるべく取り組みました。
今回の公演は、定番の器楽合奏「松竹梅」や「鼓笛弦遊」等の他に創作「情念」「遊び太鼓」を新たに加え、変化を図りました。
「情念」は組踊の執心鐘入をもとに女の情念を宇座嘉憲会長が歌三線、立方を加え、太鼓の演奏で表現する演目です。(私は鳴り物で出演しました)
「遊び太鼓」は和太鼓演奏を沖縄風にアレンジした挑戦的な演目です。普段やっている奏法とは違いかなり稽古に時間を要しました。
会場はほぼ満席で期待の大きさがうかがえ、歴史ある徳八流の名に恥じないように改めて気を引き締めさせられました。
公演後の評判はおおむね良く、「初めて見るような演奏だった」と、多くのお褒めの言葉をいただきました。
しかしながら課題も多くありまして、取り組みの進め方、個人の技量等、次に向けた準備は早めにしなければなりません。
また、新聞の講評には「遊び太鼓」については、もう少しメリハリがほしいとありましたので、これも課題です。
余談ですが、実はこの日は台風のため延期になった那覇大綱挽とかち合ってしまい、午後4時頃までは那覇大綱挽に参加しておりました。(私は泉崎の旗頭持ちです。)そのため、早朝から夜までのめったにないハードな1日でした。一生のうちに多分2度とないであろう、忘れられない1日でした。





昨年10月19日に徳八流太鼓保存会50周年記念公演「尊師徳八ぬ鼓(ちぢん)の響き永遠に」が国立劇場おきなわ大劇場で開催されました。
ご来場いただいた皆さん、誠にありがとうございました。
本来なら2013年の開催予定でしたが、事情により1年延期の開催になりました。
およそ2か月前から本格的なリハーサルが始まり、成功させるべく取り組みました。
今回の公演は、定番の器楽合奏「松竹梅」や「鼓笛弦遊」等の他に創作「情念」「遊び太鼓」を新たに加え、変化を図りました。
「情念」は組踊の執心鐘入をもとに女の情念を宇座嘉憲会長が歌三線、立方を加え、太鼓の演奏で表現する演目です。(私は鳴り物で出演しました)
「遊び太鼓」は和太鼓演奏を沖縄風にアレンジした挑戦的な演目です。普段やっている奏法とは違いかなり稽古に時間を要しました。
会場はほぼ満席で期待の大きさがうかがえ、歴史ある徳八流の名に恥じないように改めて気を引き締めさせられました。
公演後の評判はおおむね良く、「初めて見るような演奏だった」と、多くのお褒めの言葉をいただきました。
しかしながら課題も多くありまして、取り組みの進め方、個人の技量等、次に向けた準備は早めにしなければなりません。
また、新聞の講評には「遊び太鼓」については、もう少しメリハリがほしいとありましたので、これも課題です。
余談ですが、実はこの日は台風のため延期になった那覇大綱挽とかち合ってしまい、午後4時頃までは那覇大綱挽に参加しておりました。(私は泉崎の旗頭持ちです。)そのため、早朝から夜までのめったにないハードな1日でした。一生のうちに多分2度とないであろう、忘れられない1日でした。
2015年01月19日
野村流音楽協会 組踊地謡研修部発表会 2014




昨年9月21日は野村流音楽協会組踊地謡研修部(略称組研)の発表会がありました。
画像はリハーサルの様子です。
私は執心鐘入に割り当てられ、独唱曲三番目の干瀬節「悪縁の結で 離ち離されめ 振り捨てて行は 一道でもの」を担当しました。
「悪い縁を結ばれたら離しようがない。振り捨てて行こうものなら道連れにされてしまう。」と中城若松が縁を結んでくれと言い寄る宿の女から必死に逃げる場面です。
観たことが有る方はご存知でしょうが、中城若松を宿の女が追う場面で演奏のスピードを速くするので、立方と良く息を合わせる必要があり、難しい場面でした。
余談ですが、戦後米兵がこの執心鐘入を観て、「あの男はなんてひどいことをするんだ!」と憤っていたという逸話がありますね。現代の女性も「女の人がかわいそう」と共感する方が多くいるようですね。
協会組研に入部して二年目ですが、唱えの稽古もしますので、価値ある研修と感じています。
発表会の数日後にはメンバーで飲み会をしました。
まあ見ての通り、テンションMAXで、厳しい稽古のうっぷんを晴らしました(笑)。