2010年07月29日
伝統組踊伝承者養成研修会
月一回の伝承者養成講座が浦添市てだこホール市民交流課でありました。
今回は組踊と大和芸能の題で講師は大城學先生でした。
特に興味を引いたのは組踊は能の真似なのかという話でした。
確かに組踊は大和芸能の能の影響をいろいろなところで受けていてよく似たものもあります。
良く知られた「執心鐘入」は「道成寺」、「銘苅子」は「羽衣」、「花売の縁」は「芦刈」等など。
しかし大城先生は「能の影響はあるが物語そのものを真似ているわけではない。」とおっしゃり組踊の独自性、本質を話されました。
先生は「物語の題材は組踊ができた以前から存在していてそれが中心になっている。組踊は中国の冊封使を歓待するためのもので中国人の忠臣や儒教の精神にあわせたものなので幕府の将軍に見せていた能とは本質的に違う」ということです。
能の真似と言われたらいい気はしませんね。そう言う方もいるとか。
私は能を見たことがないのであまり言えませんが、花売の縁は芦刈と似ていると言っても作者の高宮城親雲上の幼少期の体験が元と言われています。
執心鐘入はお寺が舞台で女の執着心を描いているのは道成寺と似ていますが大城先生によると執心鐘入は「中城若松が女に誘われても首里にいく務めをはたすため頑として女を拒絶しているから観客が若松に感心する」のでやはり独自の物語であるはずです。
あと驚いたのは王府の踊り奉行の仕事の多さです。
冊封の時は稽古は長時間長期にわたり宴の時間は8~9時間で数題の組踊が演じられたそうです。
江戸上りの時は大和の芸能を習得してきて帰ったら王の前で演じなければならなかったらしいです。
そしてなんと中国の芸能も踊り奉行は習得していて将軍の前で琉舞の他に中国の芸能も披露していたといいますからもうものすごいというしかありません。(御座楽や路次楽かもしれません。今度聞いてみます。)
そのような私たちの先人に想いを巡らせ琉球人の素晴らしさや組踊の素晴らしさを認識した講習でした。
今回は組踊と大和芸能の題で講師は大城學先生でした。
特に興味を引いたのは組踊は能の真似なのかという話でした。
確かに組踊は大和芸能の能の影響をいろいろなところで受けていてよく似たものもあります。
良く知られた「執心鐘入」は「道成寺」、「銘苅子」は「羽衣」、「花売の縁」は「芦刈」等など。
しかし大城先生は「能の影響はあるが物語そのものを真似ているわけではない。」とおっしゃり組踊の独自性、本質を話されました。
先生は「物語の題材は組踊ができた以前から存在していてそれが中心になっている。組踊は中国の冊封使を歓待するためのもので中国人の忠臣や儒教の精神にあわせたものなので幕府の将軍に見せていた能とは本質的に違う」ということです。
能の真似と言われたらいい気はしませんね。そう言う方もいるとか。
私は能を見たことがないのであまり言えませんが、花売の縁は芦刈と似ていると言っても作者の高宮城親雲上の幼少期の体験が元と言われています。
執心鐘入はお寺が舞台で女の執着心を描いているのは道成寺と似ていますが大城先生によると執心鐘入は「中城若松が女に誘われても首里にいく務めをはたすため頑として女を拒絶しているから観客が若松に感心する」のでやはり独自の物語であるはずです。
あと驚いたのは王府の踊り奉行の仕事の多さです。
冊封の時は稽古は長時間長期にわたり宴の時間は8~9時間で数題の組踊が演じられたそうです。
江戸上りの時は大和の芸能を習得してきて帰ったら王の前で演じなければならなかったらしいです。
そしてなんと中国の芸能も踊り奉行は習得していて将軍の前で琉舞の他に中国の芸能も披露していたといいますからもうものすごいというしかありません。(御座楽や路次楽かもしれません。今度聞いてみます。)
そのような私たちの先人に想いを巡らせ琉球人の素晴らしさや組踊の素晴らしさを認識した講習でした。
Posted by takachiyan at 00:25│Comments(0)
│稽古、研修
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