伊差川世瑞先生、世禮國男先生の足跡を訪ねて その2

takachiyan

2009年11月25日 13:11

一行は一路那覇から世禮國男先生の生まれ故郷の平安座島へ。

写真は世禮先生のお墓のある共同墓地から浜比嘉島を望んでいます。
この日は雨の予報でしたがまあまあの天気で暑いくらいでした。
*画像は全てクリックすると拡大します*

太陽が出ていたので海中道路から見る海の色も綺麗でした。
泳いでいる人もいましたよ~。



世禮國男先生のお墓です。
一同揃ってそれぞれの気持ちを込めて手を合わせました。うーとーとぅ。



平安座小学校内にある世禮先生の胸像。
野村流音楽協会創立50周年記念事業の一環として昭和50年、世禮先生の25年忌に建てられたそうです。


世禮先生のお孫さんの挨拶がありました。「多く方に参加していただきありがとうございます。」の言葉に涙が出てきそうになりました。



一行は最後の目的地の伊佐川世瑞先生の生まれ故郷の名護市伊佐川へ来ました。
伊佐川公民館敷地内に伊佐川先生の胸像と先生を讃える歌碑が建てられています。

胸像は昭和45年大阪沖縄県人会連合会、野村流音楽協会関西支部などの後援で篤志家達が大阪で造らせたそうです。
また建立の費用は協会及び各支部、関西支部などの寄付によるそうです。
歌碑は伊佐川先生の弟子の西島宗二郎先生を中心に協会の北部連合会が核になったそうです。

伊佐川先生の孫の伊佐川氏(お名前忘れてしまいました。すいません。)が伊佐川先生のこと、名護市伊佐川のことなどを話されました。


歌碑に書かれている歌です。

歌の道広く 世界にかがやかち 伊佐川の流れ いく世までむ
(うたぬみちふぃるく しけにかがやかち いさがわぬながり いくゆまでぃん)


偉大な両先生の足跡をたどりましたが、改めて感謝の念が出てきました。
声楽譜付工工四は今日の野村流を支える大きな基盤であり宝です。
また、両先生を讃えるために多くの方々が尽力され胸像、歌碑、顕彰碑を建立なさったことにも感謝したいと思います。


関連記事